『悲しみの秘儀』を終えて ~忘備録~
いままで「本を読もう」「勉強をしよう」というお話は何度となく聞く機会はあったが、こんなにも「何か書きたくなる」お話を聞く経験はなかった。それくらい、若松英輔さんの「悲しみの秘儀」の講演会は、衝撃的な時間だった。文字を読むことに対しては、さほど抵抗はなくできるかもしれない。しかし、何かを綴るという営みはどこか特別なように感じていた。しかし、その思い込みは、徐々に溶けていった。
書くことと読むことは、呼吸と同じだと、講演会の中である青年が発表していた。言い得て妙だ。呼吸は吸うだけではなく、吐き出さなくってはならない。読むことが吸うことで、書くことが吐き出すことであれば、「読み書き」の両方ともやってはじめて「読書」となるのだろう。読書という言葉を感じるとさまざまことを想起させる。
さて、実際に書くとき、緊張するかもしれない。いろいろと想いが巡る。しかし、誰かに発表することを主としなくってもいい。自分だけが見れるものでもいい。書き始めたとき「こんなことを想っていたんだ」と自分の知らない自分を知れる。はじめましての自分と出会えるのかもしれない。それが、この上なく面白いのだ。
0コメント