統一は多様性に分解されてしまう

わたしはそのひとの髪の色とか、話し方、人柄などを取り出すことができるし、つねにそうせざるを得ない。しかし、そのひとはもはや<なんじ>ではなくなってしまう。
マルティン・ブーバー/我と汝
 
これこれこうが正義である。と分析していてはおそらく、正義にはたどり着かない。たとえば、バットマンがそうであるように。
もっと深いところで共振しあったとき、我と汝となりうるのではないだろうか。
今日は、ブーバーの言葉を読みそう思った。

肚をつくる読書会

一人で読んでいたときでは、気がつかなかった驚きと発見を! 人と本の出会いで人生ガラッと変わるとモットーに開催中! さぁ大空へ羽ばたこう。